2016年08月01日

大事なことなのでもう一度

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週末金曜日、EDPANDAにお越しいただいた皆様ありがとうございました
実際このパーティーはみずお主催の週末一発目でここまで大変だったかと思うんですが
そんな苦労が全然わからないくらいどっちらけた面白い仕上がりで楽しかったです
諸事情あって告知や宣伝が行き届かなかった部分も多かったかと思うんですけど
次回以降はその辺もばっちりだと思いますんでみんな遊びに来てね
次回は9月9日救急の日、DOMINAで開催です!
こちらのPARTYの元となったFRANKも開催中です
こちらは8月23日火曜の開催です
こっちはEDPANDAやってない月の最終金曜の予定です。

で、JUMBOMAXも時間帯変わって8月最終金曜日
8月26日に開催となりました
こっちは夕方から0時までの開催となります
詳細もうちょっとでまとまりますのであと少しお待ちください&日程の調整よろしくお願いします
早い時間開催ということもあって
今後に向けてなんつうか何となくなんですがDJも探してます
ジャンル四つ打ちでレコード使いで下は0歳から上は制限なしで。
時間的条件が前にずれたこともあってもうちょっと幅広い年齢層もいけるかなという部分も
あったりなかったりもして
なかなか条件的にぴったりの人いないだろうな(笑)というのがありますけど
この先もずっと探してますんで
我こそははもちろんのこと、その人がいいんじゃないかっていう紹介なんかもあれば是非是非
自分自身のDJのオファーもお気軽にどうぞ♪
タンテ2台とミキサーさえあればどこでも行きますので!

さて、今日のこの記事のタイトルなんすけど
ちょうどこういう記事を目にしたんですが
(YAHOOニュースに飛びます)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160702-00018207-president-bus_all
記事自身は割とほかでもよく見かける
溜めるとよくないというかなんつうかこういうのうまく説明できないんですけど
そういうやつなんすけど
ちょうど何年か前の自分の交通事故のことを思い出す部分があったんで
またここに書きとめておこうかなと

同じようなこと前にも書いてると思うんですけど
なんつうか今一度自分で振り返っておきたくなったというかそういう感じ
病は気からというのは本当で
自分でコントロールできるものだと今では本当に思う部分もあるし
何より経験したという大きいものがあるので。

自分が交通事故にあったのは6年前位だったかな?
車の下敷きになり瀕死の重傷を負った
・・・そう今は書いてるけど事故の時はそんなこと思いもしなかった
実際は肋骨が20か所折れてたわけなんですが
救急隊の雑な扱いとか初見で見てくれた研修医の誤診なんかもあって(笑)
めちゃくちゃ痛くはあったけどまさか大怪我だとは思ってなかった
実際さとしにはすぐに帰るようなこと言ってたし
お店の仕事を休むことになるからと明日以降の段取りどうしようかなと考えてもいたし。

その後ほっとしたのと痛みで気を失った部分もあったかと思うんだけど
次に気が付いた時は既に移動先、看護婦詰め所横にベッドごと運ばれていた
看護婦詰め所の横にベッドを置かれたのは非常に危険な状態だったからというのはあとから聞いた
片方の肺は血が溜まって吸入の酸素の濃度が一番濃いやつだったのも後から聞いた
息苦しい感じはなかったんで自覚はなかったな。


父と母も駆けつけた
この件は心配するから伝えなくていいからと智にいったが智は両親を呼んでくれた
あの時はそういったがこの時の智の対応、後々凄いありがたかった。
この時のことを父は
「いよいよというのはこういう状態のことか」と、思ったといっていた
医者にもそういう話をされたのが初めてで動揺したともいっていた
自分は終始、こんなことでは俺は死なないだろうと思ってはいたものの
何日も続く痛み
痛みで起き、痛みで落ちる。
その繰り返しで疲れ果て
ひょっとしたらもう治らないのかもしれないと
夜中ひとりきりの真っ暗な病室で泣いたことが一度だけあった
その時はまだそういう話もしてなかった今の妻も実家から病院まで来た
病室に入ってきたときのその表情を今でもよく覚えてる(笑)
その表情を見たからというわけでは無く
妻が来たときはちょうど自分が絶望感に包まれきっている時だったので
自分は彼女ともう連絡を取ることをやめようとも考えていた

痛みはあるものの
眠りは睡眠薬でコントロールできるようになり
自力で立てるところまで回復してきたときに
転院を許可されたのはうれしかった
その時手伝ってくれたみつろ―にも感謝している
転院後、事故相手が来たが今となっては笑える失言をしたそのおばはんに
その時、もう今後この人に会うのはやめようと思った
その後その相手側の事故担当のやつが本当に嫌なやつで
誰からも嫌われる人が社会で存在する意味を知る
俺はそいつと話するのがストレスで最後は示談にかじを切った
次は弁護士をすぐ雇おうと思ったな(笑)

入院生活も終わりようやくうちに戻ったの想像してたよりも何日も後だった
転院の時もそうだったが退院の時も医者は嫌がった
その判断が正しかったのかどうかはわからないけど
自分的には大丈夫そうだったから退院させてくれと割と毎日懇願した
解釈は間違ってるかもしれないし、医者をあてにしてないわけでもないが
御幣を恐れずに言えば医者が治すわけじゃないんだなと思った
結局、最後まで治療らしい治療というのは何も行われなかった
痛み止めと点滴を延々と続け
本人の回復力に期待するというものだった
その医者が何も手を出せない状態の中で
自分でも自分の回復力に驚いたが自分はかなり早いペースで回復していった
よくよく考えたら最終的に医者にされたのは問診のみで
切ったりはったり触ったりはなんにもされて無い
聴診器当てられたくらいかな、本当にそのくらいだった。

事故の時、それからそのあとしばらくは
精神的にも肉体的にも不安定な状態が続いたが
徐々に忘れていった
忘れていったというよりは自分の身に起きたことだというのはわかるが
なんか旅先で見たちょっとした奇跡の様ななにかっぽいような感覚というか
思い出すと鳥肌立つけど思いだすことが少なくなっていったというのがあった

人生のターニングポイントって
覚えてるものもあれば物凄い重要であるにもかかわらず忘れてるところもあるとは思う
で、この件は確実に自分が覚えてるそれになった
何がかわからないけどたくさんのことが変わった
そういえば昔はそうだったなと自分が思いだす時に
大体自分がそういうところ変えたいなと思ってたところは
望む方向に徐々にシフトさせていった
ざっくりいえばあの時死んだかもしれんかったから
一度死んだと思えばきついけどやれるやろ!みたいな感覚があった
先を思って不安になることも絶望的な気持ちになることも
ほとんどなくなった

その事故後から今までで環境がかなり変わった
自分が変わることに躊躇しなくなったこともあったかと思う
基本うまくいかないことがあっても
この時のことを思いだして前向きに動けるようになった
今回も焦っちゃいかんということと
コツコツやるしか進む方法はないから頑張ってやるしかないということを
思い出すためにまたここに立ち戻った感じっす

そんな自分が今月また一つ年を取ります
生きてるだけで丸儲けなんすけど
さらに面白くなるように地味にコツコツ頑張ってますんで
皆さん遊びに来てね
あぁ、宣伝で終わらせちゃった

8月のDJ
8月13日HAUSTEK@ID
8月14日BLOCK@AXIS
8月23日FRANK@DOMINA
8月26日JUMBOMAX@MAGO

です
よろしくどうぞ!

1枚ご紹介
こちら入荷してたんですけど予約オーダーのままでした
すいません
ステータスかえた瞬間売り切れたんで
ただ今再入荷待ち
TECHNO好きな方、是非
FSUVB / dogma (body theory)[Listen(MP3)]
A1: Dogma
A Body Anthem
B1: Honne
B2: Adulthood







posted by DJ Nakahara at 12:00| 愛知 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
6年になりますか。
話してくれてありがとう。
Posted by なべ at 2016年08月05日 15:01
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